しきおりつづり

糸を組み合わせて布を作るように、文字を組み合わせて文を作る。しきおりつづり(織織綴)と申します。

羨ましく思ってしまうのはいけないことなのでしょうね。

 

 しきおりつづりの織(しき)です。

 本日は、訃報を聞くと毎回考えてしまうことを綴ります。

 

 今回の記事では、「死」そのものや、「しにたがり」について触れています。

 不快になる予感がする方、苦手な方、マイナスな感情に引っ張られてしまう方には、ブラウザバック推奨します。

 

 

同い年の死

 

 在学中、部活の同期が亡くなりました。

 わたしの悩みを聴いてくれて、少しでも環境と考え方を変えようと手を差し伸べてくれた人でした。事故だったのか病気だったのか、はたまた自殺だったのか……。それはいまもわかりません。

 

 はたちでした。

 

 聞いた瞬間、理解できなかったです。彼女の顔がぱっと出てこなくて、「なんで?」と、何に対して「なんで」と聞きたいのかもわからず、ぐるぐるとそのことばが頭から離れませんでした。

 

 同時に、ずるい、と思ってしまったことを白状いたします……。

 

 成人するまで生きるつもりがなかったわたしは、ずいぶんずるずると生き続けてしまったなぁ……と思っていたからです。その気持ちはいまも続いています。

 

 はやく、はやく、しななきゃ。

 

 気持ちばかりで、きっちりと実行できていなくて……。若い人の自殺のニュースを聞くと、「あなたはちゃんとできたんだね、凄いね……」と考えてしまいます。

 

 20って、ぴったり、ちょうどいい。大学生はまだ社会に出なくていいし、子供過ぎない。まだ就職活動をしなくてもいい時期。

 

 嗚呼。

 嗚呼、なんて、羨ましい……。

 

 もしも自らそうしたのなら、連れて行ってほしかった。

 もしも望まぬことだったのなら、代わりになりたかった。

 

 

年上の死

 

 初めて見たしんだひとは、近所のおじいさんでした。親戚でもない人が、初めてでした。

 

 こわかったです。

 

 いまにも動き出しそうで。

 死、というものが、なんなのか、よくわかっていなくて。

 

 その後亡くなった実の祖父の時も、こわかったです。きちんと姿を見ることができなかったです。母に腕を引っ張られても、足を踏ん張ったことをよく覚えています。

 

 ふたりの老人の死は、それでも、羨ましいとは思いませんでした。

 どこかで仕方ないと思っていたのかもしれません。

 

 実の祖父には、自分の命を分け与えることができればいいのに、とは思いましたが。

 

 

訃報は突然

 

 人はいつしぬのかわかりません。

 わたしは寿命が見えたらいいのに、と思いますけれど。

 

 家にいる時電話が鳴ると、少し、緊張します。

 誰かが亡くなったことを知らせる電話なのではないかと、おびえます。幸い、そう感じた時は予想が外れます。

 

 しばらく会っていなかった人の訃報は、いつの間にかしんでいた、と感じてしまいます。知らないうちに、わたしの中では生きているものと思っていた人が、亡くなっている……。

 ふしぎ。

 知らなかったら、ずっとわたしの中では生きていることになるのです。

 

 

 わたしの訃報はいつでしょう。

 わたしがしぬときはいつでしょう。

 

 わたしはいつまでずるずるとこのまま生き続けるのでしょうか。

 

 わからないです。